CockpitArt by Richard Kai 空を飛ぶ絵

Profile

飛行機に憧れ、絵を描くことが大好きだった上田少年。“フライトエンジニア”の仕事に出会ったのは小学五年生のときのことでした。「翼の王国」という機内誌で紹介されていた一つの記事に目がとまります。工業高校を卒業して整備士になり、社内登用試験でフライトエンジニアになれる。そう記されていたのです。まさに運命的な出会い。そのときから、ご本人も想像していなかったであろう、素晴らしき上田哲也ストーリーが始まったのです。

夢をあきらめない

フライトエンジニアとアーティストという二つの顔で成功するまでの道のりは、決して楽なことばかりではありませんでした。空の仕事に憧れたものの、家庭の事情でパイロットになるための学校には進むことができないという状況。そして、高校を卒業し、念願のJALに入社したときは、すでにフライトエンジニアのポジションは廃止されていたこと。少年時代に知った“空の仕事”にたどり着くまでの間、さまざまな壁が立ちはだかりました。上田さんはメカニックとして働きはじめることになります。それでも絶対に夢をあきらめきれなかった上田さんは「いつかは大空を飛ぶ仕事をするんだ。実現してみせる」と心の奥底に熱い想いを持ち続けました。パイロットになるために夜間学校に通うことを決心したのはそれから間もなくのことです。制服を身に付け、ケースを手にしたパイロット訓練生がまぶしく見えて仕方ない時期、羨ましさをぐっとこらえ自分の向かうべき道をひたすら進む時期が続きました。夜間学校卒業も間近となったとき、上田さんに転機が訪れます。フライトエンジニアの仕事が専門職として蘇ったのです。絶好のチャンスを逃すまいとフライトエンジニアになるべく、新しい訓練をスタートさせました。ナパにて自家用操縦士の資格取得のために渡米。東京にてフライトエンジニア訓練生として、シュミレーター訓練。モーゼスレイクにて航空局審査官による実地試験。そして最終訓練は、国内・国際線に教官が同乗して行なう路線訓練。すべてを見事くぐり抜け、最終審査に合格。約二年半の訓練を終了し、ようやく記念すべきクルーが誕生したのです。

1982年6月1日沖縄行き901便。羽田18番スポットにJA8117SR 小雨の降る初クルーの日。飛行機は滑走路を駆け抜け、水しぶきを上げながら無事、離陸。金線を制服につけ、一人前のクルーとして旅立った上田さんは、そのとき28歳でした。

絵との再会

仕事が慣れてきた頃、上田さんは再び、昔から好きだった絵を描きだします。ステイ先では、スケッチブックを片手にスケッチをし続けました。いつしか、フライトを終え、ステイ先のホテルに着くと真っ先にスケッチブックの新しいページを広げるように。その日のフライトで目にした感動が消えないうちに描き写しておくためです。持ち帰ったスケッチを華麗で幻想的な作品に仕上げるのは自宅にあるアトリエで進められます。真っ白なキャンバスにコックピットの実際の図面を見ながら、リアルな計器の針までアクリルを使って緻密に描いていくのです。数多くの思い出と、旅のエッセイも綴っていきました。 ローテンブルグの秋の景色がとくに心に残っているとか。「アンカレッジから貨物便でフランクフルトに着いたんです。すぐ支度をしてバスに乗りました。秋晴れの中、紅葉がきれいで。中世の宝石箱といわれる町並みは本当に印象的でした」さらに雪降るベニスについても「初めて目にした迷宮都市でした。寒さのあまり胃けいれんを起こしてしまったんですけどね。寒いのに無我夢中でスケッチしてしまいましよ」高度1万メートルから見る世界は平和そのもの。街の光は優しく輝きます。ときには一面オーロラが広がり、天空人になることもある。夕暮れ、そして朝焼け。空が七色に変化していく瞬間。目の前に広がる真っ青な世界、ブルーモーメント。画家にとってのワンダフルモーント。素晴らしき世界。 本格的に絵を描くようになったのは、人気作家の笹倉鉄平さんの目にとまり、笹倉鉄平賞を受賞したのがきっかけです。プロのアーティストとして世界観をつくりあげるのに、そう時間はかかりませんでした。自分が感動したもの、つまりコックピットから見た光景そのものが上田さんにしか描けない絵だったからです。現在の絵に通じる、コックピットアートが形づくられていきました。

さらなる夢を追いかけて

2007年8月に開催された小田急新宿店における絵画展では、3000人の方が上田さんの絵を観に来場しました。「ご年配の方からお子様まで、さまざまな方に来ていただきまして感謝の気持ちでいっぱいです」来てくださった、おひとりお一人のドラマと上田さんが描いたものが、互いの想いの中で通じ合い、夢や浪漫を共有できたことが何より嬉しいと語ります。「今まで、決して容易な道のりではありませんでしたが、絵を通じて感動していただけたことが、僕自身の絵を描くさらなるエネルギーになりました」上田さんはこう続けます。「美しい世界でありなが轣A地上では悲惨で残酷な出来事に目を覆いたくなることがあります。今後はコックピットアートを通じて、平和な世界の大切さを伝えていきたいです。僕が見た素晴らしい空を守るためにも地球環境の大切さを子どもたちに感じてもらうことができればと思っています」上田さんが空の仕事を現役で続けられるのも、あとわずか。飛行機に関わる仕事というとパイロットというイメージがあるかもしれませんが、上田さんが長きにわたり携わってきたのはフライトエンジニアという仕事です。飛行機システムの監視、パイロットの補佐などといった航路上のまさに脇役といった存在。航空機の自動化にともない、二人編成のコックピットが主流となる昨今、上田さん自身も至近に、空の仕事から去ることになります。「時代の流れではあるものの、自動化の名のもとに、あえてこの仕事をなくしてほしくはなかった。僕はもう少し飛んでいたいと思いますよ。海外ではまだジャンボは健在ですし、チャンスがあれば、フライトエンジニアとして仕事を続けたいですね」

夢は自分でつくりだすもの___空での仕事が終わっても、目を輝かせて「僕の夢は終わっていません」とおっしゃる姿が、とてもまぶしく感じられました。上田さんが夜間学校へ通うあの日に見たパイロット訓練生のまぶしい姿とは、おそらくこのような姿だったのではないでしょうか。

リチャード・カイ / Richard Kai
本名 上田 哲也
海外での活動も視野に入れて、
アーティストネームをリチャード・カイとする。